魂の安からん事を
繁茂する夏は服喪の期になった。
七年前に祖父が六月十五日に亡くなり、五年前に祖母が亡くなったのは七月二十三日だった。そして、今度、母が亡くなったのは七月十九日である。
母は緩慢に進行する病を得ていた。同病でも急激に進行する人もいる中、それは、幸いだったろう。
昨年、脳出血、ついで入院中に気胸となった時、何が起きているのか、私は正確に理解した。斜面に停車中の、大きな車輪の車止めが外れたようなもので、その後がどうなるかは、見るまでもない。そして、その事は、本人もよく理解していた。状態を好転させるための努力は、僅かな気休めに過ぎなかったが、それでも病人はリハビリに努め、前向きな気持ちを失わずにいるようだった。その気力は、天から授かった才であるとしか思えなかった。重い病と長く付き合う人の中には、稀でなく、驚く程の勁い精神力を見せる人がいる。元々気高い人であったり、人格者であるからではなく、ごく普通の人であるにも関わらず、だ。人間の精神の有り様は、不可思議だ。
一年前に倒れた時から、いや、本当はそれ以前から、こうなることは判っていた。かかりつけの医師は、母に七十まで生きたいのなら移植を受けなさい、と勧めた。移植を受けなかった母が六十を越えてから、誕生日の度に、後何年生きられるだろうか、といつも考えていた。病を抱える者にとって、医療は慈悲深く、同時に、冷酷である。
今はただ、病の長かった故人の魂の安からん事を祈る。
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